ある配信サービスを利用していて、ふと気づいたら、知らぬ間に、ある作品が配信の対象からなくなってしまっているという事態、皆さんはご経験はないでしょうか? 当方はあります。
このような事態に対しては「事前にダウンロードしておけばよかったのに」、と言われてしまうでしょうが、配信でいつでも聴くことができる作品を、いちいちダウンロードしておくかというと、なかなか現実的ではありません。いつでも聴くことができる(削除されるまでは聴くことができた)のだから、ダウンロードするメリットはありません。ところが、実際に削除されるケースはあります。
万が一そういうことが起きると、個人的に聴くことができなくなり困るということを超えて、例えば、もうCDも品切れで存在せず(場合によっては、配信があるからCDを品切れにしたということもありうるでしょう)、中古でもCDの入手が難しいとなると、すでにCDを持っているか配信をダウンロードしていた人以外は、聴くこと自体が不可能になってしまいます。「再配信」ということはありうるでしょうか? あるかもしれませんが、あるのかないのか、あるとしてそれがいつなのか、全く推測できません。これは、CDの時代以上の危機です。
ということで、配信業者の皆さんへのお願いは、決して配信をやめないでいただきたいということです。
しかし、ご本人(または音源の権利者)が配信中止を希望していたら、それは防ぎようがありません。やはり、CDの時代以上の危機的状況だと思います。
村田さんの作品について、配信の中止が今後発生しないことを祈ります。
ふと思ったのですが、村田さん(1954年生まれ、1982年デビュー)の後継者に当たるような音楽性、似たような音楽性のミュージシャンっていますかね?
思いつく人は何人かいるのですが、ぴったりとは思えないんです。
でも、あえていえば、次の2人くらいでしょうか?
・川村康一(1964年生まれ、1989年デビュー)
・岩﨑元是(1962年生まれ、1986年に「岩﨑元是&WINDY」でデビュー)
さて、どうでしょうか。
岩﨑さんなどは、「ウォール・オブ・サウンド」で、むしろ、大瀧詠一の後継者なのかもしれませんが。
なお、「後継者」という言い方で、お二人の独自性を認めていない、という意味ではもちろんありませんので、その点言い添えます。
ミュージシャンが音楽活動をやめよう、少なくとも休止しよう、と思う理由(原因)は、何でしょうか? 「やめる」とは、もう新しいCDは出さないとか、もうライブはしないとか。
これは、とにかく、ご本人の気持ちでしょう、
まず考えられるのは、気力・体力、健康の問題。体力的に活動を継続できない、病気になったなど、そういうことがきっかけになりうると思います。村田さんのように、病気だからこそ継続する、ライブを増やそう、と考えるかたもいるわけですが。
他方、売れなくて、商業的に継続が難しい、という理由もあるでしょう。それは、本人の意思と合致している場合もあり、合致していない場合もあるはず。
そして、この「商業的に」ということは、作品の良し悪しと必ずしも一致しません。要するに、作品として質が高い、少なくとも制作した側はそう思っている場合でも、商業的に成功する(売れる)とは限らない。そんなことは日常茶飯事です。音楽の分野でも美術の分野でも文藝の分野でも。
この理由の場合、本人が継続したくても、レコード会社が、「採算が取れない」という理由で新しいCDの制作を受けてくれない場合もあるでしょう。そういう場合には、かつてならば自主制作にするか、最近ならば配信だけにしてCDは出さない、そういう選択肢がありますね。また、CDを出さなくてもライブは全く独立して継続することも可能です。ですから、必ずしも、「売れないから即やめる」という結論にはならないでしょうが、それでも大きな理由の1つにはなります。
例えば、村田さんの場合、「Victor・ROUX」の3枚のアルバム(1993年~1995年)は、そうだったのではないでしょうか? 作品の質は高いのに思うように売れてくれない、これは、ご本人にとっては大いにショックで、音楽活動の継続を阻害する大きな原因になると思います。経済的にというよりは、むしろ心理的が原因になるでしょう。「こんなに良く仕上がったのに、評価されないのか」「これでもダメなら、もういいか」などと落胆するという感じでしょうか? 端的に書けば、がんばって続けて行こうという気持ちを失ってしまうということです。特に、アルバムを制作するには、相当の集中力と気力が必要であるから、今後、それに対応できるだけのものが自分にあるだろうか、もしそう思ってしまうとしたら、制作に取り掛かろう、という決心も鈍るでしょう。
村田さんの場合には、その後、見事「大復活」なさったのでよかったのですが、誰もがそうなるとは限らない、その後の活動を本当に諦めてしまう、というケースもあるはずです。
村田さんとも、「ムーンキッズ」でご一緒の濱田金吾さんのラストアルバム『Fall In Love』もそういう位置づけ、質が高いのに、思ったほど商業的に成功しなかったという例、ではないかと思っています。その後、濱田さんのアルバム制作は途切れてしまいました。残念なことです。
以前も何度かそういうことを書きましたが、昔、「パイパーを検索して、この掲示板(村田和人)を発見した」と掲示板をたずねてきたかたがおられました。
ネット上のパイパーに関する情報が、当時はよほどなかったのでしょう。
しかし、現在は、パイパーの情報もそこそこネット上に存在するようになりました。それどころか、新しい情報という意味では、村田さんより情報量が多いかもしれません。
村田さんについては、新しいニュースがほとんどない一方で、パイパーについては、新たな活動があるわけですから、そんなに多くなくても新しい情報がある、そういう状況、そういう逆転現象ということですね。最近のパイパーの活動としては、CDを出したり、ライブをしたりという、ごくごく一般的な活動ではありますが、そういったことが、実際には非常に「強い」内容であり、当然ながら、ネット上の情報につながるわけです。
村田さんご逝去からはや8年、新しい情報がなかなか出てこない、そういう時代になってきてしまいましたか。残念ではありますが、仕方ありません。
村田さんの声は太いほうですか?
おそらく、多くのかたが、イエスとお答えになるでしょう。
逆に師匠筋の山下達郎さんは細い声だと言えるでしょう。
山下さんが村田さんを評価した一つの点は、この太めの声にあると思います。
こう書いては何ですが、山下さんは、ご自分の細い声にコンプレックスのようなものがあったのでしょう。それを補うためもあって、自分の作品では、ぶ厚いコーラスを駆使し、また、声の太い人を積極的にプロデュースしようとした、という状況があるのではないかと思います。
例えば、村田さん以外でも、山下さんが、フランク永井の1982年の「WOMAN」をプロデュースしたというのも、この流れから考えると、非常にわかりやすいと思います。
また、山下さんが、かつて梶原秀剛(かじわら・しゅうごう)のことを高く評価していると何かで読んだ記憶がありますが、それもこの流れになるでしょう。そもそも、奥さんの竹内まりやも、女性にしては声が太い(というか低い)ですね。
さて、ずいぶんわき道にそれましたが、村田さんに戻って。
村田さんの声が太いんだと、実は当方は当初あまり感じておらず、。その理由は、声が低くなかった、ということになります。声が太い=声が低い、とまでは言えませんが、そういう印象が強かったのです。
村田さんの場合には、ハイトーンのボーカルやコーラスがむしろ通常で、低音のボーカルというのは、あまり思い浮かびません。
なお、夏の音楽というかエコーの効いた音楽には、むしろ、山下さんのような細めの声の方が合致しているように思います。例えば、角松敏生、岩﨑元是、川村康一など、いずれも細めのように思います。ただ、逆に、村田さんのボーカル・コーラスにも違和感はないので、太めの声が夏やエコーに合わない、ということもないと考えています。