先に、「公立図書館と音楽配信」(No.1244)で、「要するに、配信しか存在しない作品は、公立図書館に所蔵されることはない、という結論です。」と一方的に結論付けてしまいましたが、無駄を承知で少し考えてみましょう。
まず、Spotifyのような無料の配信サービスがある場合には、公立図書館を頼ることなく、この配信を使えばいいのですから、これ以上考える必要はありません。それゆえ、以前N.1242で、公立図書館を補う役割などと書いたのですが、配信を聴くことが有料の場合には、図書館と同じではなくなります。ゆえに、ここでは、無料の配信が存在しないという前提で考えます。ちなみに、Spotifyが無料の配信をやめるという可能性がいつでも存在すること、忘れてはなりません。
さて、どうするか?
単純なところから始めると、公立図書館が配信サービスに登録してダウンロードした音楽を貸し出すという方法があります。
障害となるのは、
1.技術的に「貸し出す」システムを開発せねばならないということ。電子書籍の「貸出し」のシステムを応用すれば可能なのでしょうか?
2.ダウンロードした音楽にそもそも「貸し出す」という権限が含まれていないのではないか、ということ。
前者は、新たにシステムを開発すればいいのですから、価値の創造や雇用の創出につながるということで、ポジティブにとらえればいいと思います。時間はかかるのかもしれません。後者は、現時点では、いかんともしがたく、やむを得ないのではないかというところ。また、見直しの議論もなさそうですから、実現への道を切り開くのための足がかりが発見できないという状態ではないかと思います。
やはり、配信音楽作品の貸出は無理だという結論に戻りそうです。
うーん、すぐには、これ以上先に進めそうにありません。しかし、さらに考えてみます。
これだけ音楽配信が世の中で普及しますと、音楽は配信だけでいい、CD(やレコード)は不要である、そういう考え方の強くなってきているのではないでしょうか。
しかし、必ずしもそうとは言い切れない、そんな例の1つを書いてみたいと思います。
そうとは言い切れない1つの理由は、公立図書館の存在です。
そもそも、公立図書館におけるCDの所蔵や貸出は、限定的な範囲でしかなく、書籍に比べれば、あまりに貧弱な、あまりに不完全な所蔵です。収集基準もよくわかりません。うがった見方をすると、図書館のその時点の司書のかたの意識や熱意によって、バラツキが生じているのではないかと思います。加えて、困ったことに、紛失が多いのも事実です。前に借りたCDをもう一度借りようと思ったら、もう所蔵されていなかった、などというケースを経験したことがあります。けれども、意外なCDが所蔵されていて、うれしい驚きをすることもあります。
結論としては、あまり期待はできないけれど、意味がないわけでもない、というところです。
さて、では、音楽配信の場合、「所蔵」という観点から公立図書館が何かできることがあるでしょうか? 電子書籍の収集すらままならぬ現時点で、配信について検討している公立図書館など、存在しないことでしょう。要するに、配信しか存在しない作品は、公立図書館に所蔵されることはない、という結論です。すなわち、CDがあるほうが、所蔵される可能性が残っているという意味で、幾分かましだということです。
そういう観点のみからでも、CDの存在価値はまだまだあると思っています。
ということで、非常に簡単ですが、本日は以上にて。
なんと、西司さんの、テイチク、メディアレモラス時代の全作品(シングル含む)が、2月1日からストリーミング&ダウンロード配信が始まるとのことです。
すごい、これだ、これこそが当方の望んでいる状態です。すなわち、新作や近作ではなく過去の作品、入手したくても入手できず、要するに聴きたくても聴くことができない、中古で入手できるかもしれないが、今後中古品が市場に出てくるかどうかもわからず、出てきたとしても法外な価格がつくかもしれないという作品が、適切な価格により配信で聴くことができる、しかも、シングルも忘れずに含まれている。
夢のような状態です。会社が違う「Seven Places」「RE-INTRO」がないとか、「The Pip Pops」がないとか、もちろん完全ではないのですが、そんな贅沢は言っていられません。いや、言ってはいけません。
実は、以前に、西さんのツイッターで、メディアレモラスのかつての担当者のかたと話をなさったというようなツイートがありました。それを拝見した時、ちらっと、もしかして…、でもありえない…、と思っていたのですが、まさかまさか。
実際、こういうことは、「交渉事」なんでしょう。実現しようと突き進めば、実現できるかもしれない、ということなんでしょう。
これを1つの機会ととらえ、強引に村田さんに話を移して、村田さんのユニットで、配信されていないアルバムがありますが、これらが配信されるよう、どなたか、ぜひ交渉をしていただきたい。交渉者はどなたでしょうか?
・Jean & Gingers(村田和人、山本圭右、小板橋博司、吉川みき)『The Greatest Hits』(1998年)
・A,M,S&I(安部泰宏、村田和人、鈴木雄大、伊豆田洋之)『奇跡はここにあるのさ』(1999年)
・ALOHA BROTHERS(杉真理、村田和人)『世界のアロハ・ブラザーズ』(2010年)
それにしても、これは、何といっても大ニュースです。村田さんのニュースではなくても、「3大ニュース」に入れたいくらいの(笑)。
容易に聴くことができるようになるということももちろんすごいことですが、それを現実に実現するということのほうがもっとすごい。こんな素晴らしいことを見事に実現なさるとは、西司さんは、何というすごいかたなんだ。尊敬に値します。
もうすぐですが、2月1日を楽しみに待ちましょう。
過去の作品がもっとどんどんと配信されて、聴きたくても聴くことができないような作品がなくなる、そんな時代がやってこないものでしょうか? もはや、現実性のない夢の話ではなくなっていると思います。
CD販売中なら、配信されなくても、CDを購入します。問題は、何度も繰り返して書いていますように、CDも(通常の価格で、常識的な価格で)入手できない、配信もない、したがって聴くことができない、そういう状態です。そういう状態を解消していただきたいのです。どうかよろしくお願いいたします。
かなり以前にこのスレをご覧いただいたかたにご紹介ただいた、福永恵規「Blind Summer~やさしい誤解~」、村田和人さんとのデュエットなのですが、ふとSpotifyで聴くことができることに気づきました。
『SAMBO』という1987年の2枚目のアルバムの5曲目に収録されていますので、検索してみてください。村田さんの若い声を聴くことができます。
なお、作詞 麻生圭子 作曲 村田和人 編曲 西平彰、だそうです。西平彰の作品にしては、冒険のない穏やかな編曲ですね。村田さんのコーラスを入れたほうがよかったのではないかと個人的には思います。
それから、同じアルバムの1つ前の曲「三日月のピン・クリップ」も同じ制作陣(作詞 麻生圭子 作曲 村田和人 編曲 西平彰)ですが、村田さんのボーカルは入っていません。
こういう場合、Spotifyというような配信は大変便利です。その曲のためだけにCDを入手するわけにはいかないというような場合、または、CDがそもそも入手できなくなっているような場合、です。
このような「配信」「サブスク」は、実質的には、書籍に取っての「公立図書館」の代わりの役割を果たしているのではないかと思います。自分で購入しなくても良く、また、品切れなどで購入できない状態であっても、聴くことはできる、ことになります。
以前書いたかもしれませんが、著作権の関係もあり、書籍よりも、公立図書館でCD・レコードを収蔵・貸出することが、かなり限定的であり、今となっては大変困った状態なのですが、Spotifyなどの配信が、これを補う役割も果たしてくれているということになるのではないかと思います。もちろん収録範囲は完全ではありませんが、一般論としては、書籍よりも、かえって、便利になっている面もあります。わざわざ借りに行かなくても、ネットですぐに聴くことができるという点です。
最後に、村田さんの『空を泳ぐ日』の最後に「優しいなんて誤解」という作品がありますが、今回のデュエット曲のサブタイトルと似ていますが、この作品との関係はあり? 曲が同じというわけではなく、曲調もかなり違います。
少し前のものですが、金澤寿和さんにインタビューした産経新聞の記事をふと発見しました。
https://www.sankei.com/article/20221219-NZRX25TBERCSRAJUVOVGMGMJVU/
山下達郎より切ない大失恋ソングも クリスマスに聴きたいシティポップ11選(前編)
2022/12/19 15:05宇野 貴文
https://www.sankei.com/article/20221220-DWCIQLXTCNGCJDD5A2LI67RBSA/
愛の祈りはミポリンより情熱的に クリスマスに聴きたいシティポップ11選(後編)
2022/12/20 14:30宇野 貴文
この「前編」で村田さんの「Flying Santa Claus」が紹介されています。前にも書きましたが、個人的には、この作品は大好きで、こういう「冬ソング(冬うた)」をもっと追及していただいても良かったんじゃないかと思っていたのですが、残念ながらもう遅くなってしまいましたね。
このページには、ギターを弾きながら歌を歌っている村田さんの写真も掲載されていますので(1986年4月とありますが、何の写真?)、ぜひご覧ください。
こういった紹介記事も、あまり時間がたたないうちに消去(削除)されてしまうんでしょうね。以前から思っていますが、ネット上の情報は浪費されていますね。もったいないことです。