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村田和人(むらた・かずひと)

シティ・ポップ(ス)と海(1329)

最近では、シティ・ポップの範囲が拡大し、もともとの「シティ・ポップス」の範囲ともかなりずれが生じている(海外のリスナーが多く、もともとの範囲を知らないことも大きい)という状況のようです。その結果、「海」っぽい作品が、シティ・ポップの中心の1つとはならなくなり、シティ・ポップと呼ばれにくくなっているようです。(むしろ、ディスコ・ブギー系のビートが利いた作品が中心?)

 

現状はそうではありますが、もともと、1980年代にあった「シティ・ポップス」は、「海」「リゾート地」のようなテーマの作品をかなり含んでいました。

具体的には、山下達郎の一部の作品、大瀧詠一、角松敏生、そして村田和人などです。

ただ、1982年デビューの村田さんに対して、「シティ・ポップス」という言葉がどの程度使われていたかは、定かではありません。1982年は、時期的には、もしかすると、やや遅いかもしれません。当時、村田さんへの「シティ・ポップス」という言葉の使用例があるか、あったとしてもどの程度あるか、どのような使い方だったのかは、確認の必要があります。

こう書くのは簡単ですが、当時の資料などは、なかなか見ることはできないでしょうから、そのような確認はかなり困難だと思います。

 

他方、「海」系統の作品があるかどうかにかかわらず(山下達郎すら海系統の作品がメインなわけではありません)、それ以外のアーティストも、シティ・ポップスと呼ばれていましたので、当時から「海」や「リゾート」だけがシティ・ポップスのテーマではありませんでした。

 

例えば、山本達彦(渡辺香津美、田辺信一、松任谷正隆、井上鑑)、濱田金吾(松下誠、山田秀俊、倉田信雄、佐藤博)、黒住憲五(松原正樹、武部聡志、清水靖晃)、稲垣潤一(井上鑑)、竹内まりや・松原みき(林哲司)など。

(かっこ内は、主たる編曲家)

 

ところで、高中正義がシティ・ポップスだったという意見もあるようですが、「フュージョン」なので少なくとも当時は違うでしょう。当時そう銘打ったCDも出されているようですが1点程度で、高中正義の作品が「海」っぽい音楽ということから、レコード会社が無理に含めようとしたのでしょう。その試みが成功していた(高中正義が広く「シティ・ポップス」と呼ばれていた)とは言えません。売り上げを得たいという理由から、あまり音楽のジャンルの範囲を混乱させないで欲しいものです。もちろん、当時の「シティ・ポップス」に含まれていなくても、高中正義を現在の「シティ・ポップ」に含めようとするのであれば、それは自由ですが。

 

なお、黒住憲五の1stアルバム『Again』は、1982.です。奇しくも、村田さんの1stアルバム『また明日』と同じ年ですね。

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