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村田和人(むらた・かずひと)

CDがなくても大丈夫なようにするためには(1195)

個人的にはCDにこだわっているところが強くありますが、世の中一般で考えると、もうそんな時代ではなくなってきていると思います。

CDが欲しい、レコードが欲しい、そういう人がいても構わないので、そういう人向けの市場というのも、今後消滅はしないのでしょう。

しかし、全てのアルバムについてCDがある、などという時代はもう終わりを告げています。今後は、配信がメインとなって、ごく限られた作品しかCDが制作されない(再発されない)、そういう時代になって行くでしょう。要するに、現在のレコードが置かれた状態にCDもなっていく、完全になくなりはしないが(ごく)少数になるということだと思います。

 

とすれば、村田さんのCDがなくなってしまっても大丈夫なようにするためにはどうしたらいいか、をあらかじめ考えておいても損はしない、というか、将来を見据えて考えておくべきではないかと思います。

 

さて、前置きはそれくらいで、具体的に考えますと、CDにあって配信にはないものは何か? それは、歌詞カードやジャケットなので、より具体的には、歌詞とクレジットとあればライナーノーツ、そして贅沢を言えば「写真」ということになるのでしょう。

 

まず「写真」を片付けますと、ジャケットの写真は、配信では通常は「表(おもて)面」だけしか掲載されていません。「裏面」やアルバムによっては、「中面」があるかもしれません。さらに、歌詞カードには、いろいろと「写真」が掲載されている場合があります。村田さんの場合ならばこういった歌詞カードの写真には、極上の価値はないかもしれませんが(失礼!)、例えば男女問わずアイドル歌手などだったら貴重なものとなるのかもしれません。

さて、こういった写真・図版を配信上で掲載するとか、配信とは別のウエブサイトか何かに掲載できるのならば、この点に関してはCDである必然性はないように思われます。

 

同様に、それ以外の情報、すなわち歌詞であったりミュージシャンや制作にかかわった人々のクレジットであったりラーナーノーツであったりも、どこかに掲載されていればCDでなくてもいいということになりはしませんか?

 

具体例を見てみると、NO.1162でご紹介した西司さんのアルバム『NOAH』についてですが、その後確認したところ、歌詞もライナーノーツも西司さんのウエブサイトに掲載されています。そもそも、それ以上の情報(ジャケットの「裏面」やらその他の写真など)はこのCDに関しては存在しないのです(クレジットもありませんが、全部西さんご本人だけによる制作のようです)。

https://nishitsukasa.web.fc2.com/discography/album/noah.html

 

こう考えてくると、どこかにCDに付属した情報さえ掲載されていれば、CDである必然性はない、という結論になりそうです。CDのほうがいいなどというのは、単なるこだわりか、せいぜい「慣れ」にすぎないのではないか。CDに限らず、何か手でさわれる「物」がないと安心できない、という、その「気持ち」の問題ではないか。

 

さて、その結論で本当にいいでしょうか? この点については、これで終わりとせずに、もう少し疑い深く考えてみたいと思います。

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