村田さん関連で、来年に望むこと。
配信のラインナップの一層の充実ですかね。特に、ユニットやオムニバスでしょうか。
本音を言えば、「村田本」の刊行が第1の希望なんですけれど、どうも、実現可能性がなさそうなので。
今年最後の投稿となります。
皆様、よいお年をお迎えください。
引き続き、ご健康にもくれぐれもお気をつけください。
「村田さん関係3大ニュース」は、最初、継続せず1回で終わらせるつもりで書きましたが、もう3回目となってしまいました。
今年は次の3つを選んでみました。
・ムーンの5枚、Victor/ROUXの3枚のアルバムの再発
・企画盤『K-A-Z-U HIT RADIO』のCD化
・『GO POP』のレコードの再発
すごい1年でした。村田さんのアルバムが10枚も発売された年。二度と来ないかもしれません。
この「3大ニュース」企画、来年以降もまだまだ続いてしまいますかね?
久しぶりに見てみたら、今年出された各アルバム勢ぞろいしていますね。
https://www.petsounds.co.jp/ordermurata.html
でも、昨年再発されたEMIの2枚が掲載されていないままなのは疑問です。
以前、No.1237とNo.1254で、ハチロク・アカペラで似たような作品があるということをご紹介しました。
次の3作品です。
・村田和人/夏を忘れた瞳に/10枚目のアルバム『evergreen』(1994年)最後の12曲目に収録(作詞:安藤芳彦、作曲・編曲:村田和人)
・川村康一/サマー・タイム(Summer Time)/1枚目のアルバム『Have A Good Time』(1989年)最初の1曲目に収録(作詞・作曲:川村康一、編曲:岩﨑文紀、コーラス編曲:川村康一・岩﨑文紀)
・西司/屋根裏部屋の天窓から/2枚目のアルバム「EXPRESSION」(1990年)最後の10曲目に収録(作詞:森生遊子、作曲:西 司、編曲:西 司)
実際には、このうち村田さんの作品には、リズムボックスが入っていました。
その後、これらの作品のベースになったのは、次の曲の山下達郎さんによるカバーではないかと思うようになりました。
・That's My Desire
これは、『On the Street Corner』という山下達郎の1980年のアカペラ・ドゥーワップ・カバー・アルバムの1曲で、もっとも古くは1940年代ごろから歌われている作品のようですが、長い期間に渡って多くの歌手がレコーディングしたオールディーズです。その中には、ドゥーワップでないバージョンもあり、いったいどの作品をベースにしてこの山下バージョンが出来上がったのかはよくわからないところがあります。しかし、この山下バージョンは、明らかに「ハチロク・アカペラ」です。
当時、このレコードを持っていてよく聴いたものでしたが、久しぶりに聴いて(レコード音源ではありませんが)、上記3作品と比べてみると、山下作品は、若かりし頃の作品だからでしょうか、自信にあふれ非常に力強い感じがするとともに、他方で、奥行きがない感じがしました。原曲が昔の作品であるということを意識のうえ、エコーをほとんど効かせていないということでしょうか。
そういった部分も比較して、ご紹介した上記3曲を改めてお聴きいただくと、なお面白いと思います。
(つづき)
なお、このような雑誌の「増刊」というものは、公立図書館ではなかなか所蔵されないようです。一般の「単行書」ではない、「ムック本」というとらえ方で、所蔵に消極的だということかもしれません。どうやら国立国会図書館にも所蔵されていないようです。ミュージック・マガジン社が「納本」していないということでしょうか? 時間がたつと、参照することが困難になりそうなので困りますね。
それから、今回もそうだったのですが、検索をするときに「CITY POP」と「シティ・ポップ」で(場合によっては「City Pop」でも)結果が異なることがあります。検索する側が特に区別をしているなら別ですが、そんなケースはまれでしょうから、すべての結果がまとめて出てほしいのですが、検索によっては、そうではないようです。念のために2語(または3語)とも検索すれば済むわけですが、10か所で検索する場合には、その倍の20回(3倍の30回)の検索が必要になってしまいます。何とかならないものかと思います。「検索」の機能というか効率化については、未だに課題が多すぎます。
最後に、よく書かれているように、1980年代当時の「シティ・ポップス」と比べると、現在の「シティ・ポップ」は、海外での再評価が先行してその理解(誤解?)の影響が大きく、時期も範囲も非常に広くなってきており、当時を経験した者としても大いに違和感があります。しかし、大きなこの流れは止めようがなく、おそらく、このような広い範囲で確定する(すでに確定している?)のだろうと思います。過去(当時)の事実(実態)が消えていく(塗り替えられていく、再定義されていく)のを目の当たりにしている感覚です。